クリスチャンじゃないのに、クリスチャンスクールその3


結論から言うと、あの時買った聖書は、1年間の留学生活で一度も使わなかった。



そして、クリスチャンスクールに1年通った結果から言うと、あたしは宗教が大嫌いになった。



何度も言う様だけれど、あたしが生活をしたカンザス州はとても保守的なプロテスタントが大多数を占める州。アメリカのど真ん中。広い土地、多くの牛、少ない人口。ちなみに州の大きさは丁度日本の本州が入る位大きい。


おそらく、あの地で、もしくは宗教色がとても強い場所で生活をした人しかわからないとは思うのだけれど、アメリカは日本と違って宗教が生活にとてもとても根付いている。日本の宗教は文化であって、人々の生活や習慣や、「常に自分と共にあるもの」ではない。でも、カンザスの(少なくともあたしの周りの)場合は上記の通りなんだな。「宗教=常に自分と共にあるもの」


宗教は生活の一部。宗教がない生活なんて考えられないし、常にそこに、いる。


毎週日曜日、午前中に教会に行って礼拝に参加。


毎週水曜日、幼稚園から高校生までの生徒全員と先生、スタッフが集まっての礼拝に参加。


ご飯を食べる前のお祈り。


これは、本当に1年間続いた。日曜日の礼拝は特に苦痛だった。クリスチャンじゃないのに、行く事を強要される。自由の国アメリカだけれど、キリスト教を強く信仰するあたしのホストファミリーは「日曜日の礼拝に行かない事=悪」と捉えていたようにも見える。


家族の一員として生活をしているあたしが行くのはあたりまえなのかもしれないけれど、やっぱり自分になじみが全くない宗教行事に毎週参加するのは苦痛だった。


一度だけ、ホストに言ったことがある。


「I don't feel to go church today. May I stay here?」
(今日は教会に行きたくない。家に残っていてもいい?)


今でも覚えている。二階のバスルームのドアの前。Joleneの怖い顔。


「Ok, you can stay here, but no next time.」
(OK,今日はここにいてもいいわ。でも、次はないわよ)


怖かった。次はないわよ、と言われたあの時を、10年近く経っても思い出せてしまうほど。普段は優しいJoleneだったけれど、きっとあの時のあたしの気持ちがJoleneに通じてしまったんだとおもう。「I don't wanna go to the church


口にした言葉は「don't feel to go」だったけれど、本当に「don't wanna go」だった。心が拒否していた。嫌だった。協会も礼拝も賛美歌も。あたしの大好きなホストファミリーが信仰している物を拒否していたわけだから、そりゃ、Joleneもつらいよね。怖い顔にもなるよ。


今はそう思うけれど、当時は怖くて怖くて、信仰の自由ってなんなのさ、ここは自由の国でしょう?とみんなが教会に行ってから一人泣いてしまったのを覚えている。


結局翌週からは日曜日の教会通いは再開して、理解できない牧師さんのお話を聞き流して時間が過ぎるのを待った。


みんなが牧師さんの話を聞いて、神とジーザスとの世界に入っていくのを客観的に見る。日曜日も、水曜日も、いつもそうしてきた。客観的に見て、観察して、分析して、そしたらもっと知りたくなった。


信仰したいから知りたいのではなく、なぜ彼らがこんなにも信じることができるのかを知りたかった。なぜ彼らは伝道するのか、なぜ彼らの生活にここまで根付いているのか、ほかにもいろいろとキリスト教を取り巻く環境の「なぜ」を知りたくなった。


1年間の留学でとても、とても嫌いになった物が宗教。


でも、留学生活で新しく、一番興味を持ったのも、宗教だった。