痛む心と吐き気とエッセイ

pinoura2006-04-22

安全保障学のエッセイ、まだ書いています。いろんな教科を4年間でとってきたわけですが、この教科が一番つらい。この教科を選択した当初、まさかこんな思いをするとは思いませんでした。


以前の日記にも書いたように、安全保障学の勉強では戦争に関するいろんなこと、戦争ではなくとも、いろいろな争いについての戦略的なものや、取り囲む状況、武器についてなども勉強します。


今書いているエッセイは大量破壊兵器をテーマにした物。大量破壊兵器と言うと一般には核平気が一番に思い浮かぶでしょうが、たんそ菌などの生物兵器サリンなどの化学兵器大量破壊兵器として考えられています。


化学兵器を使用した例、化学兵器核兵器よりも簡単に作れ、またコストも抑えられる割には大きな影響力(殺傷力)があるということを証明する例として、地下鉄サリン事件をとりあげることにしました。


1995年にあの事件が起きた際、私は丁度テレビの前にいました。何が起きたのかまだはっきりとしない中での、人々がうめいている様子、パニック状態の地下鉄の入り口、ヘリコプターでの上空からの映像などが思い出されます。


実際にどの路線の何両目の車両でオウムの誰がサリンのパックに穴をいくつ開け、何人の乗客が亡くなって何人の被害者がでたか、どの病院にどれくらいの人数が運び込まれ、自衛隊が解毒剤をどれだけの量を配り、どのお医者さんが東京中の病院に対処法をファックスで送り…と、詳細をはっきりと知れば知るほどその場を想像してしまい、吐き気さえもしてきました。


もちろん当時小学校高学年だったとは言え、はっきりと覚えていますしその後も何度もこの話題にはテレビや新聞を通して触れているのでこれが世界でも最大級のテロ行為だったことは理解していました。でも、ここまで自分の中にどすんと入ってきたのは初めてだったのでしょうね。


重なるように、実は今朝のテレビで9.11のドキュメンタリーを見ていました。分刻みで振り返ったあの9月11日。久しぶりに見てしまった、WTCの崩壊映像は痛かった。一度は実物をこの目で見ているので尚更です。崩壊に伴って広がる灰や残骸、私の知っているあのNYCの風景の中でも降り注いだのだな、となんだか見るのがつらくて、それでも見続けました。


崩壊してから3年後の夏にグラウンドゼロに行きました。あの時は、今ほど心が痛まなかった。もちろんあの夏でもまだ工事中だったWTCの跡地を見たときには思うことは色々あったけれど、今よりも学んだことと現実を結びつけることができなかったのでその様な状態だったのだと思います。


学びたかったことを学べているので幸せなはずなんだけれど、幸せではなくとも満足しなければいけないのだけれど、あまりに痛くって痛くって、くじけそうになります。


今日の写真:
フランスにて雪の中のBBQでもらったハンバーガー。可愛くって大好きになったロレッタと一緒です。