小学校

6月25日の、那須の朝のウグイスについて書いていたら、小学校時代を思い出しました。


私の小学校は新潟市内でも一番古い位の学校で在学中には120周年をむかえました。緑が非常に多く、とても恵まれた環境にあったことを覚えています。


前庭、中庭、後庭、教室の横の、木や池やウサギ小屋やとうもろこし畑とひまわり畑や砂場、ヘチマの木などが広がるスペース。中庭には多くの鶏、チャボが飼われており、小屋の裏には竹林。


たけのこの時期は遠足の時期。六年生は別日程で修学旅行があり、他の学年が遠足に行く日は学校でお留守番でした。そんな時は六年生の先生方がたけのこを刈って、給食にたけのこご飯とたけのこのお味噌汁。


グラウンドにはイチョウの木があり、銀杏拾いもしたっけな。土のグラウンドは2つ、アスファルトのグラウンドは一つ。新しいプールが出来るまでは、コンクリートのプールが2つ。周辺の小学校に比べても、敷地は広かったのではないでしょうか。昔は、御蔵が建っていたそうです。


中庭の梅の木には梅の実がなります。コレを拾って、全校分の梅ジュースを作るのは六年生の役目。


びわの木もありました。休み時間にとって、先生に聞いてからお家に持って帰る。グミの木の実は放課後によく食べたっけ。


緑の学校と呼ばれていた位なので、自然がいっぱいあったのですね。ちなみに、中庭の鶏は飛んでました。竹林の竹に登り、4階の窓から外を見ると、鶏が同じ目線にいるのです。ふむ、たくましい。


放送委員会に所属していたのですが、放送室は中庭に面しています。朝の放送をするために早めに学校に行って放送室に入り、空気を入れ替える為に窓を空けると、よくウグイスの声をききました。


今でもあの小学校はあのまま残っているのかな。大好きだった放送室に残していった、私の作ったテープはまだ残っているのかな。私が6年生だった頃、おそらく10年以上前の物と思われるテープが数多く残っていました。あれは、どうなっちゃったんだろう。


もう知っている先生もいるわけが無く、今の物騒な世の中じゃあ簡単に小学校に入れることも無いでしょう。それでも、一度見に行きたいな。