フラッシュバック というかな。

pinoura2007-07-12


最近、毎日起こること。


仕事中に、ふと、ふと、不意に脳内に情景が浮かぶ。


それはイギリスだったり、アメリカだったり、大好きな人たちと一緒に行ったヨーロッパだったり、高校だったり。


でも、ほとんどはイギリス。


書類を書いていて、ふと、コルチェスターバスターミナルからタウンに向って歩くとあるお肉屋さんの軒先が頭によみがえる。


階段を上っていて、テスコのオイル売り場、オリーブオイルの棚の前に立つあたしの視点が脳内に再現される。


お昼ごはんを食べた後に休憩室で座っていると、フラットのキッチンでキャロラインと座って毎日しみじみと話をしていたあの情景がふわりと浮かぶ。


ロンドンからコルチェスターに帰る電車の中から見た草原の風景とか、
14階のフラットから下に下りる時の階段の様子とか、
毎年変わったけれど、毎年、10ヶ月間使ったキッチンの自分の4年分の棚とか
部屋のベットの、つるつるのビニールでできた硬いマットレスの感触とか
薄い布をしいた床にねそべった感じとか
大きなオーブンから焼きあがったガトーショコラを出した瞬間の
ジェイソンの嬉しそうな顔とか
チェンの中国人らしくない話方と考え方とか
SUBARの、傷ついて少しくすんだパイントグラスとか
TOPBARの、新しくなったカーペットのふみ心地とか
図書館の勉強机の色と大きさと高さとか
TUBEの狭さと、ロンドンの空気とか
ずっと使った国際関係学の教科書の表紙とか
EXPRESSのペストリーのコーナーとか



今の、三重にいる私と何もかもと異なった、でもつい1年前まであたしが見てた物、経験してきたことが、いっぱい浮かんでくるの。


思い出そうとしているわけでもないんだけれど、ふと、不意打ちみたいにふっ、って出てくるのね。


去年帰国した時に感じた不思議な気持ち(去年の日記に書いてあります)とは、また異なった感覚。


困ったな、寂しくなっちゃうんだよね、テレビもネットもない生活で外界の情報から遮断されているせいで、自分の思い出で自分を楽しませようとしているのかな。だとしたら余計なお世話だなぁ。


当分は戻ることのできないあの場所を思い出すのは、結構せつないものだなと思って、1年前の今頃の自分との心の変化にも気づいたり(もう二度と戻ることはないだろうし、戻りたいとも思っていなかった)。


今なら、4年間を過ごしたあの場所に、少し戻りたいな。毎日見ていた大学と街の風景を、もう一度見てきたいのですが、そうも簡単にいかないなぁと思い、社会人になったことを痛感した本日でした。


今日の写真:
アメリカにて。アイリッシュのお祭り、st.patricks day前のランニング祭り(というのか?)。Tシャツが可愛いのだけれど、見えないね。